ただのにっき

ライハのブログ

雑感

この頃漠然と感じていることを書き留めておこうと思います。

まとまりはありません。

 

内省とツイッ夕ーについて

前々から、「ツイッ夕ーが重い」とか「病んでる」とか、「そんなこと言ってちゃモテないよ」とか言われてきた。

確かに落ち込んだり悩んだり、弱音を他者に向けて吐いてる時もある。

けれど大体のものは内省するために言語化されたものであって、それが衆人環境のもとに晒されてるだけ。

ただそれが外に向けたつもりがなくても、外の人が受け取っちゃうことについて考えが及ばないまま、数年来ツイッ夕ーを使い続けているな、と感じた。

でもやっぱり内省という行為自体は大事だなと思う。

内省ってやっぱり考えれば考えるほど、ヘヴィな内容になりがちで、ヘヴィで何が悪い、と開き直りたくなる気持ちもある。

じゃあ内省と外面用(ある種の裏垢と公式ページみたいな)のアカウントを使い分けていく方がいいのか。

けれど内省的な部分も共感されたり、意外な人からの意外なアドバイスで突破口が開けたり、視野が広がったりするのも事実で。

そういう目的で使い続けるのも間違いではないのかな。

出会いツールとして用いるには併用できないと思うけれども。

 

 

すがれるものはなんでもすがる

最近眠れないということがしばしばあった。

生まれてからこの方、不眠に悩まされたことはほとんどなかったのだけれど、信じられなかったけれど、眠れなかったのだ。

いつもと同じ時間に布団に入っても。

 

仕事に対するストレスで興奮状態になってしまったことが一番の原因と思うのだけれど、横になっているとはいえ睡眠不足の状態で翌日働くことがしんどかった。

 

ストレスそのものはなかなか緩和できないけれど、それらに自覚的になったことや、寝る前に照明を落として電球色の光で生活したり、中毒レベルに飲んでいたコーヒーを減らしてデカフェのコーヒーやルイボスティーを飲んだりすることで、緩和されてきた。

それからハーブティや入浴剤で心なしかリラックスしたような気もするので、今度はアロマに手を出すつもり。

体裁なんて気にしてられない。すがれるものには何でもすがる所存である。

 

 

必要十分な生活

前々から「ゆるミニマル」という言葉をキーワードに、物を減らして部屋を片付けたいと感じていた。

そんな中電子書籍で「必要十分生活」という本を読んだ。

その本の中では単純に物を減らすのではなく、自分にとって必要十分な量のものを持って生活することを提案していた。

なので著者が「要らない」と言っているものに共感できなくても、「これは自分にとって必要か?必要なら、必要十分な量はどれくらいか?」という思考方法が身についたのはすごく良かったように思う。

 

バッジ処理とリアルタイム処置

本人自体はあまり好きではなかったが勝◯和代の「超口ジカル家事」という本もざっと立ち読みした。

その中で共感したのは、「家事の内容によってはバッジ処理(まとめて)ではなくリアルタイム処理(随時)でやった方がいいものがある」ということ。

確かにうすうす感じていたことではあるが、彼女の整然とした言葉で説明されると、腑に落ちた自分がいた。先に書いた必要十分~の方でも、風呂の排水溝は毎日洗うとよい、と書いていた。

(すなわち、毎日洗う事で「汚い」と感じる状態にせず、抵抗を減らして取り組みやすくするということ)

 

そんなこと言われても排水溝は毎日は無理だと思う。

けれど、「これはバッチ処理?それともリアルタイム処理?」という思考方法は、家事だけでなく仕事にも還元されて、効率化がはかれたような気がする。