札幌夕ラレバ娘。
先日たまたま3人組で飲む機会があって、
少し小洒落たイタリアンのお店で、夕ラレバつまみに酒を飲んだ訳です。
(他の2人の名誉にかけて言っておきますが、夕ラレバ言ってたのは主に私です。主に、ね。)
マンガやテレビ見てるぶんには、アハハアハハ言いながら済ませていられたけど、案外自分もタラレバ言って昔のことばかり話してるんだなあと、指摘されて初めて気がついた。
だけどね、夕ラレバ言って何が悪いの?とも思ったわけです。
未来形の夕ラレバだったら、いいんじゃない?
過去形(あの時○○してれば…)や
ただの夢想形(私が○○だったらなあ…)で終わってしまったら、良くないかもしれない。
だけど一歩踏み込んで、じゃあ今どうするとか、実現させる道筋まで考えることが出来れば、まあまあいい方向に行くんじゃないの?って思うのです。
最近は特に恋人を作りたいとは思わなくなってる。
何故なら、「そろそろ落ち着きたい」と思う年頃は、今じゃなくてもいいんだって思ったから。
職場の周囲は、落ち着きたい人たちばかりで溢れているけど、
それって男女では子どもを生めるタイムリミットがあるからなだけで、
私がそれに迎合する必要なんて実はないじゃん。
それこそライハのライハが元気をなくす年頃になった時に、恋愛感情じゃない気の合う人と暮らしを共にするだけでもいいんじゃない?
今年の4月に札幌でもパートナ一シップ制度が始まるとかなんとか聞きました。
10年前の思春期の頃と比べて、随分世の中も変わってきたなあと驚くばかり。
ただ、これはある意味一つの希望であって、それと同時にまた一つ呪いをかける(逃げ恥的な意味合いで)ことになるんだなという気持ちもある。
私はハナから結婚とかそういったことに期待していなかった。
制度もないし、ハナから子どもも要らないし、あわよくば一緒になれたら良いけど、基本は1人で慎ましく生きていこうと思ってた。男女と同じような分かりやすい幸せの形を想像してこなかった。
そこへこんな形で「これも一つの幸せの形」と選択肢が増えたことで、私自身戸惑ってる。
何も自分がいきなりディズ二一プリンセスになる訳ではないけど、
アングラなことや、選択肢がないからこその気楽さだけでなく、ちょっと外向きにも気を遣わないといけないように感じる。
私はこのまま夕ラレバつまみに酒を飲んでたって本当は構わない。
ハナからその気持ちだったし、当初の選択肢の中では、一番ハッピーエンドに近いものだったはず。
だけどそれとはまた違うハッピーエンドも用意された今、その辺も考え足しながら生きてくことになるんだろうなあって感じた。