ただiPadを買っただけの話
どうもお久しぶりです。
本当に間が空いてしまったのですが、これには理由がありまして。
実は私、かれこれ2年ほどノートパソコンの画面が割れたまま過ごしていまして。
HDMIケーブルでテレビに映像を出力して、webやらムフフな映像やらを見て誤魔化し続けていたのですが、やはり文字入力はなかなか面倒で。
パソコンを買い換えようといざ家電量販店へ足を運んでも、どの機能が必要で、どこまでの性能が合っているのか、価格はお得なのか等々、情報の洪水と判断を求められる項目の多さに、ただ怖くて逃げました。私の敵は私です。
話は変わるんですが、かれこれ2年ほどバレットジャーナルという手帳術を続けているんです。
タスク管理やアイディアメモなどを1冊のノートで全て管理して、積み残しのタスクはどんどん未来の予定に書き写していくことで、「今、ここ」に集中できるマインドフルネス的な要素もあるものです。
(気になったら調べてみてね)
ちょうど年末も近づいてきたことだし、2年前に書いた「年末年始にやることリスト」を見返そうと古いノートを開いた時、その付近に「・パソコンを買う」という文字を発見。
ちょっと待てよと。今日、全く同じことを、新しいノートに書いたぞ、と。
いつまで悩んでるねん、と。
お前、街行く「バキバキに割れたiPhone使ってる人」を軽蔑しきった目で見てたけど、人のこと言えるんか、と。
2年だぞ。赤子も自分の足で歩いて発話する年月(としつき)やぞ、と。
2年前から今日にかけてずーーーっと心の片隅に占拠している心理的コストと、オーバースペックで他店より割高のを買うのと、「損」しているのはどっちだろう・・・? と。
結論としては、iPadとキーボードを購入し、こうしてカタカタと文章を打っているわけであります。
いい年になって、ようやく心理的コストと金銭面でのコスト比較の概念に気づいた、っていうお話。