「ダイバーシティ」って港町的な意味だと思ってた
前から書こうと思っていたことを、少しずつ書いていこうかなあと思います。
タイトルだけでどんな内容かは分かるかもしれないけれど、それをどういう方向性で書いていこうか、手探りな感じ。
もしかしたら続くかも。
最近、
「世の中もっとシンプルになればいいのに。」と思うことがよくあります。
なんでこんなに複雑なんでしょう。
数日間情報に触れなかっただけで、天文学的数値の情報が世間を行き交って消えていくし、その中で触れておかなきゃいけないものだけでも相当数ある。
そして何か一つの行動をする際に、半径数メートルの範囲で巻き込み確認すれば良かったものが、その確認範囲がめっちゃ広がっているような気持ちを抱きます。
自分ではハスラーを運転してたつもりが、実はバカ長いリムジンで、遙か後方の後輪で人を轢き殺してた、みたいな事が結構起きていると思うんです。
その、例えが下手でアレですが。
様々な弱者や、切り捨てられてきたものを支える術として、この複雑な社会が生じているのでしょうかね。
別にそれは誰のせいでもないし、複雑だから悪い訳ではないはずだけれど、
圧倒的多数派が属する「基本」、「原則」があって、そこから外れる者を「異なもの」としないために、「個別の配慮」をする、という行為があらゆる分野、事項で起こっているような気がします。
多様性って私も含めたあらゆる人を自由にするけど、その分自分以外の多様性も配慮しないといけないんでしょうね。
物質的にもそう。
例えばインターネットが出てきた、スマホが出てきた云々、便利になればなるほど、色んなものが出るほど、新しい問題が生じるわけで、それを考え続けなくてはいけません。
色々便利になったのに、複雑化するせいで、いままで思考していたものは解消しても、さらに新たな思考すべき事柄が発生する。
ミニマリスト、って言葉が広がりつつあるのも、そういうのに疲れた人が多くなったのかもしませんね。
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ダイバーシティって最初聞いたときは、港町とか、海の家があってダイバーが集うところ、って本当に思ってました。
言うなれば、本当にバカなんです、自分。
複雑すぎてイライラするのも、自分の理解や力が及ばない難題によくぶつかるから。
イライラは本当にどうしようもなくて、クズエピソードも積み重なっていくけど、最近自分が出来ること、バカな自分だから出来ることがある、という気づきもありました。
複雑なことを「バカでも分かる」ものへ分解することです。
とにかく楽をしたい。深く考えずに済むなら何も考えずに生きていたい。
今後考えなくていいように、考えているような節があります。