あーー!男にうまれて、良かった!
きっとミ/クシィをやってた頃だったら、日記の冒頭に、
「どうも、効率的な仕事ぶり、
充実した私生活、
ライオンハートです(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎」
…とかいう書き出しから始めていただろうなと思います。
時代が変わったからやりません。
「敢えてやることで笑いを取りにいく」ということもしません。
そういう時代じゃなくなりましたから。
…ところで、男にうまれて良かった、と思う事柄って何がありますか?
私はサービスエリアやライブ会場で、長蛇の列のトイレ待ちに並ばなくていいこと、とかが思い浮かびます。
そして最近、もう一つそう思うことが増えました。
それは、
「小さいタオル2枚があれば銭湯に行ける」ということ。
解説が必要ですね。
ここ1年の間で、私はすっかりサウナの心地よさに目覚めてしまいました。
サウナでたんまり汗をかいて、水風呂に入る。それを繰り返す…
…というお決まりのアレです。
真夏にやると帰り道の脇の下はサラサラですし、疲れ気味の時は休憩所でゴロンとうたた寝するのが最高に気持ちいい。
そんなこんなで、仕事帰りや街中での買い物終わり、事ある毎にスパ銭へと立ち寄るようになりました。
そこで気になるのが荷物とコストの兼ね合いです。
アメニティは備え付けがあるとして、削る。ボディタオルもバスタオルもレンタルすればいい。極論手ぶらでも大丈夫。
けれど毎回レンタルしてたらお金がもったいない…
そんな中ある日、水泳のセームタオルに着想を得て、腰巻きサイズのタオル1枚で髪身体の水気を拭き取れる事に気づきました。
タオルで拭く前に、手を使って身体の水気をしっかり切るのがポイントです。
よって手軽さとコストの均衡がとれる持ち物は、腰巻きサイズのタオルが2枚。
タオルの1枚は浴室内で使い、もう1枚はバスタオル代わり。
以上!
-追伸-
更に気づいたことがあるのですが、こんなに少ない布面積で水気がとれるなら、「自宅でもバスタオル不要」説が成り立つんじゃないかって。
バスタオルって乾きにくいし、それに伴ってニオイも気になるじゃないですか。
だから自宅のタオルが縮小化する日も、そう遠くないような気がしています。
課さない
この1、2年くらい、自分の中でよく問いかける言葉がある。
「それ、明日の自分に課せるか…?
いや、明日の自分にそこまで課したくない………」
…といった言葉。
私は非常にぐうたらでだらしなくて自制が効かないから、何も考えなくていいなら考えないし、やらなくていいならやりたくない。
だから
「ま、いっか。今度やろう。」
「明日やればいいや。」
というパターンが頻繁に起こる。
そんなの良くないこと誰だって知ってる。
けれどそれを自分に納得させるためには、人それぞれの動機や理由が必要だと思う。
「明日やろうはバカやろうだ!」
「お前が無駄に過ごした今日は、誰かが死ぬほど生きたかった(以下略」
「今やりなおせよ!!未来を。お前はん年前から帰ってきたんだよ(以下略」
……等々。
そんな言葉が刺さる人もいれば、しっくりこない人もいる。
私のように。
それらの言葉を熱く語られたら、
しばらくは
"じぃーーーーーっん!!"とするだろう。
けれどそれはショック症状のように一時ビビっただけで、するすると耳から抜けていってしまうような気がする。
けれど、「自分に課せるか?」という問いかけに対しては、分かりやすく「否」と言える。
自分はタイムリープしないし、人生はそこまでドラマチックじゃないし、先を見据えこそすれど、日常という連続性の中で生きている。
だからまあ許容出来るかな、って所まではなんとか頑張れる。
「明日の自分に課さない。」
強い言葉ではないけれど、地味に効く言葉だと思ってる。
捨てられる人間
私は「こうなりたい」と思う事柄がタイトルになっている本を見かけると、つい手にとって読みふけってしまう性分です。
例を挙げると、
「感情的にならない本」
「超集中力」
「誰からも可愛がられる人になる方法」
…等々。
そんな中「超集中力」で書いてあった事にとても感銘を受けました。
メン夕リストなんて胡散臭いなあって思っていたけど、自分のペースを作る方法が見つかったような気がしました。
一番印象に残ったのは、余計なことで選択を迷わないこと。
……朝ご飯は何を食べよう。どんな服を着よう。ネクタイの柄とシャツ、スーツの相性は。洗顔と歯磨きどちらを先にしよう。家の鍵はどこだっけ。ああコーヒーが飲みたい……
そういった選択の中で、考える力をバンバン浪費してしまうと、集中したい時に疲れてしまって集中出来ない、みたいな。
世間的にはそんなの当たり前なのかもしれないけど、それを平易な言葉で解説されて妙に納得がいった自分がいました。
実際やってみると結構いい感じで。
(朝の動きを決まりきったものにしたり、前日にやれることはやったり、鍵だけは絶対に無くさないようにしたり。)
けれど、部屋の散らかりがひどくて。
あれがない、これも見つからない、なんでこんな物幾つもあるの、ああ、ホコリで鼻水が止まらない…
という悪循環はどうしてもどうしても解決出来ませんでした。
それもこれも、自分に変なところがあったからです。
捨てられない。本当困ったことに。
例えば紳士服屋のDMが捨てられない。
何故なら住所氏名が書いてあって迂闊に捨てられないから。
大学時代に買った服が捨てられない。
一度も着なかったタグ付きの服(ファストファッション)が、痛ましくて捨てられない。
空き瓶が捨てられない。
何故なら月に数回の回収日をいつも逃してしまうから。
けれども「"ゆる"ミニマル」、という言葉を知って、「集中力の目減りを防ぐ」という動機づけがあった今、切実に「捨てられる自分」になりたいのです。
必要充分な量のモノしか持たない。
そして、これから新しく買うもの、得るものには、大事にするもの、頃合いが来たら捨てるもの、そういった見方を持てたらいいなと。
だから最近はシュレッダーを買ったり、瓶・ペットボトルではなく紙パック(燃えるごみで捨てられる)を選んだり、お決まりのコーディネート、色の組み合わせを作ったり(のび太がいつも同じ服を着ているような)、自分なりの工夫を模索しています。
私にとって一番集中出来る場所は、なんだかんだ言って自宅です。
(誘惑も一番多い場所ではあるけれど)
ひとまず健康を害さない水準へ片付けたい…
そして、整然とした環境ならば、物質的ではない"もの"に対しても、 冷静に要る要らないを判断できるとも思うのです。
休日の夕方から巻き返す、充実方法。
はい、またやらかしてしまった。
せっかくのお休みなのに、ゴロゴロダラダラ、外に出ず誰とも話さず過ごしてしまった。
たまには休養も大切。
けれど意識的に「休養するぞ」と思って過ごす時と、そうじゃない時とで気持ちも変わってくるはず。
だから忘備録がわりに、こんな休日の夕方から巻き返して、「充実」感じちゃえるような選択肢をいくつか書いておこうと思う。
1.スパ銭&ソフトクリーム
2.映画&7up
3.掃除&拭き上げ&デリバリピザ
4.焼き鳥&ハイボール
5.カラオケ&フライドポテト
6.ファミレス&1人ブレスト&パフェ
7.おしゃれカフェ&コーヒー&チル
8.散歩&公園の噴水&ぼんやり
9.ツタヤ&コメディ&カウチポテト
10.常備菜づくり&インスタ&早寝
11.甚平&餃子&ビール
……以下思いついたら追記予定。
世界
気がつけばふんわり始めたこの日記ももう1年経ったという驚き。
そもそも書き始めたきっかけというのは、
「何かを始めることで、なんか変わるきっかけになるかもしれない」
…っていうものだったのだけど、この1年間の進んでなさっぷりといったらすごい。
そんなこんなで先日、眞鍋〇をりの本を読みました。
アメト一クで、
「スケジュールと予算と価値観の合う友だちってほとんどいなくない?」
というキラーフレーズを宣った彼女。
今の若い子は知らないかもしれないけれど、「ブ口グの女王」といったら彼女が先駆けで、ワードチョイスの妙は流石といったところなのです。
(麻婆豆腐を飲み物と宣ったり、流しそうめんにウインナー浮かべる女たちだけじゃないんですよ、ええ。)
本を読み、改めて魅力を認識しました。
わりと突然本は終わるので、あれ?という感じもあるのですが。
・・・ちょっと行動して、飛行機に何時間か揺られたら違う国に着けちゃう。
海外に行って景色や文化や、人、その他もろもろに触れることで、今いる場所も引いた見方が出来て気持ちも楽になる・・・
といった趣旨にとても共感しました。
それと同時に、私は同じような事を東京に対して抱いているように感じました。
東京の彼女は世界にそれを求め、地方都市の私は東京にそれを求める…
もしかしたら自分は、彼女よりももっともっと小さい世界の中で、狭い狭い了見で物事を辛くしんどく考えているんじゃないか、という気づきにハッとする思いでした。
最近もう一つハッとしたこと。
あの福◯蒼汰に言われたんです。
「仕事やめる以上に難しいことって、何?」
って。映画で。
今迄の人生、悩んでない時なんて無かったけど、自分の力とは関係ないライフイベント(進学・就職)に後押しされて進めることが多かった。
20代後半になり、公私ともに安定し始め「自分」というものが強固になってきたような気がします。
そんな中こうして行き詰まりを感じているのは、狭く固くなった考え方と選択肢の中で「進もう、進もう…」と焦っているからなのかもしれない。
それならば今は、進む先や身の振り方を考えるよりも、考え方や視野を広げる機会を持つことが大事な気がしてきました。
「人生観が変わる(失笑)」と斜に構えずに、違う国へ出て、違う経験をして、今いる場所を少し引きで捉えてみたい。
そうする事で見えなかった事柄に気づけるかもしれない。
就職祝いを使って取った10年のパスポート、まだ真っさら。
今年こそは…!!
私は幸せになれない
「オカルト的なものを信じるわけじゃないけど、やっぱり言霊ってあると思うの」
そういうセリフがなぜか頭の中に残ってる。
多分マツコとかが言っていたのかな。
私もその言葉に凄く影響されてしまって、良くも悪くも、発したり考えたりする言葉で、自己暗示に繋がる事があるだろうと考えてる。
そう、考えているんだけど、どうしても行き詰まると悪い方悪い方へと考えてしまう。
「私は幸せになれないんじゃないだろうか…」って。
私は満足感が持続しない。
どんなに恵まれた出来事があっても、喉元を過ぎればすぐにその有り難みを忘れてしまう。
人への好意が持続しない。
だから人と付き合うのってハードルが高いと思う。
おまけにマイノリティ。
そしてとんでもなく不器用。ひねくれ者。
マイノリティの上に更にマイノリティが重なるなんて、かえって笑ってしまうくらいな事態。
私が思い描く幸せって、良いパートナーと出会い、お互いを思いやりながら末長く暮らすことだったりする。
出会い自体は20代の今起きようが、50代目前だろうが構わない。
けれど、自分の不器用さやひねくれがそれの実現可能性を引き下げるかもしれないと思うと、
「私は幸せになれない」という、どうしても打ち消せなかった暗示が、自分により深く刺さるような気がする。
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ただ私のモットーは、「転んでもタダじゃ起きない」。
思う通りにいかなくなりそうでも、なんとか少しでももぎ取ってくる。または爪痕を残す。
そういう生き方をしてきたと思う。
「幸せになれない」上等。
それなら幸せの定義を根本から考え直すとか、「幸せじゃない事が悪」という思考から逃げる道を探してみようじゃないか。
まずは「幸福論」とか読んでみるべき?
まあいいいや。
悩まない ≠ 悩みがない
「お前って、悩みとかなさそうだよな。」
私が今よりもっと世間に唾を吐いていた頃、大学の先輩からそう言われた。
後日、文字通り和やかに和解したけれど、決して軽はずみに言われたくないセリフだと思った。
自分は言わないようにと、自戒の気持ちが今でも残ってる。
あれから何年も経って、当時の悩みの大半は忘れてしまったけど、「悩みがなかった」時はただの一度もなかった。
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最近の話を。
実を言うと最近はほとんど悩んでいない。
すぐ解消されそうな小さな悩み。
過去にも乗り越えた事がある悩み。
仕事でどうしても悩まないといけない悩み。
そんなところ。
それ以外は考えてない。
ふと気づいたら、最近の口ぐせは、
「うわぁ… 難しいですねぇ…」だった。
その言葉を発した段階で即座に、
「難しい、難しい、考えたらしんどい、だから考えない、考えない、無視、無視、ああ今が楽しい…」
という思考回路を辿るようになっていた。
悩んでも仕方のないことに囚われるのは辛い。
悩むのは苦しい。
悩まないことで色々無視していること。
たとえ向き合わなくても、当面はそのまま進んでいけそうだ。
……でも「当面」っていつまで?
要するに、
「で、お前これからどうすんの?」
という自問にどう向き合うか、という話。
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悩みに限らず、一度経験すると2度目のハードルが下がる事柄は世の中で圧倒的に多い。
振り返ると悩みなんてなかったくらいにさえ思える時があるのは、当時悩んで考えて、選択をしてきたからなのだと思う。
今のまま考えないでいると、解決やブレイクスルーに繋がらない、ような気がする。
最終的に現状維持を選択しても全然構わない。
ただ、時間が解決してくれる時もあれば、ただ埃をかぶって可能性が奪われて、より困難になる事もある。
気づいたら取り返しのつかない状態だったり、より悪い方向へ広がってるかもしれない。
もしもそれに納得出来なかったら?
そして、それに気づくのが遅かったら…?
そんな事を考えている。