ただのにっき

ライハのブログ

6/8近況

ここ最近、自分の考えを書き記す行為、さらにはそれを第三者に向けて発信する行為から縁遠くなっていた。

1番の理由としては、とにかく忙しいとか、余裕がないとか、そういった月並みなものだったりする。

そもそも文章を書くのって結構体力を使う。脈略もなくただ思いついたことを書き記すのはいいけれど、それを他者に対して見せられるような構成にしたり、過度な表現を削ったり、色々考える。

でも今回はもう面倒臭いから、ただ思いついたことをダラダラ書いていきたいなと思う。

どっちにしたって自分勝手な自分語りなんだもの。まあいいよね。

 

○コ口ナ禍とかその辺のことについて

本当いつまで続くんだろうって思うよね。

私は会社からも感染対策を結構強めに言われているし、仮に感染してしまったら、組織の流れが大きくストップしてしまうことを踏まえると、

この緊急事態宣言が出てからというもの、本当に大人しくしているなあと思う。

その反面、どこまで自粛をすればいいのか、線引きがよくわからなくなってしまう。

ネットを見てるとなんだかんだみんな外出したり遊んだりしているし、それを非難するつもりもないけど、私は曖昧なニュアンスがわからないから、ここまでなら致し方ないっていう判断が自分で出来ないのよね。だから極端に切り詰めてしまうの。

 

いずれにせよ、この現代日本で、個人の行動や自由がここまで制限される事態が発生するなんて想像だにしなかったな。

ミクロな視点で言うと近しい人の安全を守るためではあるけど、マクロな視点では国益を守るため(益というかこれ以上損を出さないため)な訳で、ある種「御国のために」という、銃声のない戦時下のような感覚だなと思ったりする。

 

自分のなかで、生きる楽しみとは、「美味しいご飯屋さんにお出かけする」とか、「旅行をして非日常を味わう」とか、そういう物に対して求めていたわけで、それが失われた今、どうモチベーションを維持していけばいいだろう、と考えてしまった。

自分の生きる意味は、自分で見出すしかないと思う。

たいそうな物じゃなく。身の回りにある楽しみや幸福を大切にしていくしかない。

それにどっかのユーチューバーがどっかの偉人の言葉を引用して、「生きる意味なんて考えても結局見つかることはない」みたいなことも言ってた。

だから正直そんなのなくたって、生活は続くし、きっと大丈夫なんだろう。

 

自分に関しては幸い、生活基盤が奪われるような事態ではなかった。でも生きる意味について迷っている。

このコロナ禍って、色んな人が色んな立場で、自分自身の存在意義について考えているんだと思う。

もちろん、今日寝るところがない人や、明日の朝食べるパンがない人もいるのもわかる。

切実さの優劣はあるけれど、当人には当人にしかわからない苦しみがあるんだと思う。

 

芸能人の自殺のニュースが多かった。

先日、ある女優さんが映画の完成披露記者会見で、感極まって涙している場面を見た。

彼らが取り組む芸術も、思うように提供できない、表現できない状況下で、それぞれの意味を考えてしまうんだろうな。

その切実な姿を見て、私も胸が苦しくなった。

 

ある漫画で、登場人物のとある音楽教師がこんなことを言っていた。

「音楽がなくても生活できる。音大以外の人には受験にも役立たない。でもね、私達には心があるでしょ。心にも食べ物が必要なのね、きっと。

太古から世界中の土地で音楽は生まれてきました。人間は食べるために必死だったけど、それだけじゃ生きられなかったのね。音楽は、人間にとって絶対に必要なモノだと先生思うの。」(BLUE  GIANT 第3巻 著:石塚真一

 

うまく言えないけれど、この緊急事態の中で、不要不急とされるもの、くだらないとされるものでも、それらが無価値なものではないのだと改めて思いたいし、それらを生み出す人たち(クリエイター)も希望を捨てないでいて欲しいと思った。