単位としての「贅沢」
昔夕ーザンで読んだ記事で、運動の種類によって「〜メッツ」、みたいに単位が決められていて、それらを組み合わせて週何メッツ以上の運動をしましょう、みたいなものがあったの。
その時はふーん、って感じだったんだけど、最近、「贅沢」にも単位をつけて、1日何単位までの贅沢ならしてもOK、みたいな考え方をしている事に気がついて、なんか似てるなあって。
例えば映画をみるなら2贅沢。
外食するのは1贅沢。
習い事に行くのは2贅沢。
男の子タイムは1贅沢。
平日は合計3贅沢までを目処にする
…みたいな。
もうかれこれ人生の3分の1、1人で生きてきた。
配偶者や扶養親族などない私にとって、他人に合わせる、我慢する、という行為がどんどん難しくなってきているように感じるの。
たしかに幾らでも贅沢したって余裕があるならいいけれど、一応社会に順応して生きていかなきゃならない手前、一般感覚は持っておきたいじゃない。
そして、自分を律する術も持っておきたい。
贅沢って時間がかかる。
人間の欲望って際限がない。
だから、3贅沢までの中で、出来る事を大切にしたいなって思ったし、
「今日は3贅沢もした!満足だ!」
っていう言い聞かせが、ネガティヴ思考な自分には効いているように感じる。
補足
「男の子タイム」
意味:自分で自分を慰める行為の別称。主にライハが用いる。