メリ夕とカリ夕
2年ほど使ったコーヒーメーカーが壊れた。
可もなく不可もない、国産メーカーのメーカーだった。
変な使い方をしたつもりはないのに、裏返すと赤錆のようなものがごっそりついていて、キッチンボードの天板までダメにしてしまった。
ここ最近、コーヒーを飲まないと頭が痛くなる程度にコーヒーばかり飲んでいた。
早くメーカーを買いたい。だけど同じものは買いたくない。
そして他のやつは痒い所に手が届かないものばかり。
悩み悩んで、「ええい、ままよ」と500円で購入したメリ夕のドリッパーが思いのほか良くて、非常に驚いている。
今迄飲んでいたコーヒーってただの濁り湯じゃん、って具合に。
そのアナロギーなメリ夕のハンドドリッパーに、使い残していたカリ夕のペーパーフィルターを敷いている。
カリ夕のフィルターは、メリ夕のドリッパーには少し小さくて、ナミナミまでお湯を注ごうとすると粉が淵から決壊してしまう。
ああ、ちょっと不便だなあと思いながら、それでもそのままメリ夕とカリ夕で毎朝チグハグなコーヒーを淹れている。
そんな何気ない日常の不便が、自分のだらしなさを反映しているようで、ひどく可笑しい。
とっとと見切りをつけてメリ夕のフィルターを買ってしまえばいいのに。
ひとっ走り電器屋へコーヒーメーカー買いにいってしまえばいいのに。
何よりまず壊れたコーヒーメーカーを不燃ごみに出しやがれってんだいこのたわけ。
ちょっと行動すれば変えられるもの。手に入るもの。
それをダラダラダラダラ先延ばしにして、「なんかしっくりこない感じ」を持てあます。
時々落ち込んだり焦ったりすることもあるけれど、
考えないでいるのって基本的にはとても楽で精神衛生上も健やかでいられる気がする。
そして30年弱生きてきた中で、このダラダラ先延ばし属性ってなかなか変えられるもんじゃない。
コーヒーは実際どうでもいい。
けれどももう少し大事なこととか、考えて考えて「しっくりしたい」気持ちと、このまま流して流されていつまでも待つ側で楽していたい気持ちと、ごちゃまぜになっているような今日この頃。