熱めのお茶の話
最近ふと思っていたことがあります。
それは温かいお茶について。
幼い頃は、下手したら「温かいお茶の存在理由が分からない」状態だったんじゃないだろうかって。
なんであんなにフーフー冷まさないと飲めないような面倒なものがあるんだろう…
喉が渇いた時には、グビグビ飲みたいじゃないか…
回転寿司屋で、親について行った車屋で、言葉に出来なくとも当時からそんな事を感じていました。
その気持ちが明確に切り替わったのは、進学で一人暮らしを始めたころ。
それまでは親の目もあって、夜にアイスやお菓子を食べたり出来なかったけれど、一人になったらそれはもうフリーダム。
好きな時に好きな量を食べ、成人してからは氷でキンキンに冷えた酒もグビグビ飲んじゃったりして。
夜に温かい食事を摂った後、冷たいものを食べる習慣が出来たわけです。
そうすると必然的に、お腹周りの調子を崩しやすくなって、
便座に跨ってからようやく、
「あ、失敗した」という気づきを得たこともしばしば。
その失敗がある程度蓄積された頃、冷えすぎたお腹を温める必要性を切実に感じた訳であります。
だからへべれけに酔っ払って帰宅した時も、お茶を淹れる余裕がある時は、
「まだ人としての判断力は残っている。まだ大丈夫。」と一種の分水嶺たりうるものになったりします。
居酒屋でラストオーダーが番茶を頼める時は相当な頻度で頼んじゃうかも。
〆の乾杯が湯飲みになるのが寂しいっちゃ寂しいけれど。
とにかくまあ、そんな話。