電子書籍と紙の本
突然ですが私、キ〇ドルユーザーです。
数年前に思い立ってキン〇ルを買ったのですが、
元来私は物質主義。
それにも関わらず、〇ンドルを導入したのは、少し切ない理由からでした。
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これから一生一人で生きていく予定の私。
この先、一人でいれば色んな冒険だって出来るかもしれない。
身軽に住居を転々とするかもしれない。
はたまた反対に、今の生活水準のまま慎ましく暮らして、
家もこの広さのまま維持し続けないと、いくら昇進しても暮らしが立ち行かなくなるかもしれない。
いずれにせよ、そんな時、沢山のモノを持ち続けることは難しい。
どんなに愛着があっても手放すことだってきっとある。
例えばそれが「本」なら、電子書籍にすることで、
ある意味「持たざるして持ち続ける」ことが出来るんじゃないか。
そう考えたわけです。
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それで使ってみてどうなのかというと、便利は便利です。
一冊持つだけで、沢山の本を持ち歩けるし、必要になれば出先からでも買う事が出来る。
地方は紙版の発売が数日遅れるから、楽しみにしている漫画が発売当日に読めることも嬉しいです。
キンド〇を買って以来、漫画を沢山読むようになりました。
本屋やレンタルショップでは手を伸ばすのを躊躇した少女漫画とか、BLとか、
そういったものを気兼ねなく触れることが出来て。
個人的にはキ〇ドルと漫画の親和性は高い、と思います。
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だけど活字本に関して言うと、自分はどうしても電子版には馴染めなさそうでした。
上手く説明できないのだけど、「見開き」じゃないことや、改ページや改行が独特なこととかが、読書の醍醐味である「夢中で読むモード」へ入りにくくしているような気がするのです。
結局、気になる小説や自己啓発本なんかは本屋で買うことが多いまま。
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先週「重版出来(じゅうばんしゅったい と読む)」という漫画を(レンタルで)読んで、偉く感動しました。
漫画家さんや出版編集の人たち、それらを支える本屋さんや印刷会社、校閲者さん、装丁家さん・・・
「漫画本」に関わる人たちの事を丁寧に丁寧に描いている作品で、ああ、私なにも知らなかったんだ、こんなに沢山の人が本を世に出すために頑張ってくれてるんだ、って思いました。
「重版」というくらいだから、話はほとんど「紙の本」について書かれているけど、
私が常々思っていた、「電子版の発売が遅い」とか、「電子版の品ぞろえが悪い」といった諸般の事情についてもなんとなーく分かりました。
なんだかんだ世の中まだまだ「紙の本」優位な部分が多いんだろうなあ。
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電子書籍派か紙の本派かと聞かれると、自分は微妙な立ち位置にいます。
家に居ながら本を買えることは、雪国の厳しい冬には何にも代えがたい有り難さを感じるし、徐々に徐々に活字本も電子書籍で買う機会が増えているのも事実。
けれど、あんだけお世話になっておきながら正直な事を言うと、ここ最近、
「もうこれ以上、アマ〇ンにお金落としたくない・・・!!!!」
という気持ちも大きくなっています。
これがキノッピーになろうがD〇Mになろうが、特定のものに偏るって抵抗があるのかも。
電子書籍がもっと便利になってほしいと思う反面、本屋が激減している現状に、歯がゆい思いがあります。
紙の本をめくる質感や、本屋での予想外の出会いは、家では出来ない体験。
本屋は私にとって重要な娯楽施設だし、守りたい場所。
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最近は品揃え重視で、街中の大きな本屋へ行くことが多いです。
本屋の中をぶらぶらしながらよく、
「もし、本屋へ入るのに入場料取られたとしても、たぶん払うだろうなあ」という空想をします。
この先、本当に立ち行かなくなったら、入場料制も、本気でアリだと思います。
駐車券みたいに、〇〇〇円以上の買い物で〇時間無料、みたいなシステムにして。
本も代〇山のツ夕ヤみたいに「売る」と「展示する」の両面からアプローチして、
買わなくても満足できる要素を、本屋側もそれぞれで工夫して。
あわよくばベンチを多く設けて、コーヒーとかも飲めるようにして。
そんで、コーヒー代金で初回無料分に達するような設定にしたら、「元をとる」為にみんなコーヒー買って、店は収益出るし、客も現物が手に入るし、持続可能性がありそう・・・
(・・・ってなんか「逃げ恥」読んだせいかな、小賢しい空想が広がってしまった。)
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どうでもいいですけど、
「電子書籍と紙の本」ってゴロがいいですよね。
七五調。短歌とかに使えそう。
おあとがよろしいようで。