ただのにっき

ライハのブログ

国語現代文、江國 香織。

ネタはないけど何か書きたい。

そう、そんな時こそ昔思いついたネタの断片を使いましょう。

 

http://lh7878.hatenablog.com/entry/2016/06/23/232047

 

私にも高校生だった頃というのがありまして、全く冴えない鬱々とした高校生活で、思い出したくないしかなり忘れた事も多いのだけど、断片的に印象に残っている事があって。

 

今は笑っちゃうけど、本当に生きるか死ぬかのレベルで悩みながら生きていました。

勉強なんてする気にもなれなくて、案の定劣等生だった私にも、「なんとなく大学進学」という受験の波は否応なしにやって来ます。

 

なんの意思も目的もなく、学校のカリキュラムに沿ってベルトコンベアに乗せられるように模試を受け、とりあえず点数だけ把握する為に自己採点、という不毛なことをやっていました。

 

そもそも勉強もしていない訳だから、結果は散々たるものでしたが、そんな中、国語現代文だけはそこそこ人並みの点数を確保出来ていました。

まあ母国語だし、感情で生きるタイプの人間ですし、私。

 

その頼みの綱の現文がある日の模試で、途轍もなく低い結果に沈みます。

それが、私の江國 香織との出会いでした。

 

「なんなんだよ、全然理解できねえよ…!」

と負け惜しみをして、逆ギレついでに帰りに本屋に立ち寄り、「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」を購入しました。

どうしても理解したかった。

 

自宅に帰って一通り読んだけど、全く分かんない。

話の起承転結くらいしか分かんない。

 

だけど、理解できていない自分が悔しいのと、読んでるだけで「私ちょっとオシャレでしょ?」的な優越感を抱くのとで、彼女の作品は結構読みました。

 

だけどずーーっと、きちんと理解出来た感覚を抱けぬまま、高校生活は終わりました。

 

紺くんの気持も、デパートのエスカレーターで何かを悟る主婦の気持も分からないまま。

 

因みにその年のセンタ一試験の現代文は、かの夏目 漱石さんでした。

あまりに難しくて私は、「現代じゃねえよ」とキレました。

 

あれから何年も経って、自分自身と折り合いをつけたり、人と付き合ったり、しがらんだり、仕事をしたり、精神性がかなりアップしたと思うんです、自分。

 

だから、もし今また彼女の作品を読み直したら、もしかしてもしかしたら理解におよべるのかなあ、なんて事をふとした時に思い出すのです。

 

本棚の掃除ついでに、探してみようかなあ。んー、どうでしょう。