ポケモンGOと趣味と孤独について
流行ってますねポケモンGO。
かく言う私もドンピシャの赤緑世代なので、街に繰り出してポケモンを探し、ゲットするというシステムにワクワクしてハマってしまったクチではあります。
ポケモンの思い出って結構覚えているんですよね。
一番始めに好きだったのは、ダグトリオ。
クチバシティでかるーい気持ちで捕まえたディグダが、マチスのでんきポケモンを面白いくらいに倒してくれた結果、パーティの重要戦力となったのでした。それにほら、あのイワヤマトンネルだって、ロケット団のアジトだって、ヤバイと思ったらあなをほるで脱出できて本当に便利。
みんな好きでしょ、あなをほる。
そんなこんなでストーリーを進めていく訳ですが、なにぶん小学生だったし今みたいに攻略サイトが充実してた訳じゃないから、何度も目の前が真っ暗になったのであります。
失敗も色々で、いあいぎりをフシギダネに覚えさせてしまったり、わざマシン24(10まんボルト)をラッタに使ってしまったり、サントアンヌ号がいつまでも出港しなかったり(ストーリー攻略後に船内のバトルで負け、ポケモンセンターへ送還された)、ファイヤーごときにマスターボールを使ってしまったり…
そうして満身創痍でたどり着いたセキエイこうげんでのライバル戦。
僕のダグトリオとライバルのリザードンの残り1体同士となった時。
今でも忘れない、一度じしんを使ってリザードンはひこうタイプだと知った後、きりさくだけで攻め続けて。
あと少しのところでかいふくのくすり使われたり…
残りHPが10を切って攻撃を耐えきり、最後のきりさくがきゅうしょに当たって倒した時、どんなに嬉しかったことでしょう。
続く金銀も、卵や新ポケモンに胸躍り、どれだけの時間を費やしたんだろう。
ちなみに第2世代で大好きだったのはエーフィとへラクロス。
特にへラクロスは、今迄不遇だった虫タイプに「メガホーン」という強力な技で新風を吹かせてくれました。
それから少し間が空いて、ダイヤモンドパールもドはまり。
この時に好きになったのはドータクン。
これ位の代になってくると、ワイヤレス通信で、日本中・世界中の知らない人と交換したり、対戦したり出来るようになってきて、ニコニコ動画なんかも全盛を迎え、対戦動画も頻繁に見るようになりました。
こだわる人って本当にすごいんです。
気の遠くなる作業の末、ポケモン1匹1匹の能力値を厳選しまくって、想定される敵ポケモンの対策に、努力値の割り振りや、技構成、持ち物を選りすぐります。
対戦中も相手がどのような出方をするのか、あらゆるパターンを考え尽くし、行動を選択するんです。
見ていて非常に楽しいし、弱っちいと思って見向きもしなかったポケモンが活躍しているのは、ある種のドラマでした。
ただ、そこで私は同時に限界も感じてしまいました。
自分はそのレベルのプレイヤーになりたいのだろうか、と。
だって上には上がいて、拘ればきりがないほど拘れてしまうんです。
だから、対戦動画を見るようになってからというもの、ゲームをプレイすることに関しては、ある程度のラインまでしかハマらなくなってきました。
パズドラや今回のポケモンGOも。
育成をしたり何かしらの鍛錬を要するゲームよりも、オセロとかモノポリーとか、ルールさえ分かればあとは平等、経験値は不問、みたいなゲームがいいなというのが正直な気持ち。
その点身内でやる麻雀とかってそれにかなり合致していて、スゴイなって思います。
拘れば果てしなくどこまでも拘れる、ということは趣味や特技についても言えますよね。
雑誌に寄稿できる位のディープな造詣じゃないと許されないのかっていうあれがあります。
特技なんて更にすごくないといけないでしょう?
スポーツだったら表彰台に上がるレベルだろうし、文化的なものなら検定の準一級レベルは必要そうでしょう?
もうさ、もっと声を大にして趣味の定義を優しくハードル低くしましょうよ。
「上手い下手に関わらず、それを行うことによって心身のリフレッシュや充足感を得られる事象や行為。」
ぐらいでさ。
そういう優しい趣味になったら、私は本当に多趣味。広く浅く薄く。
だから余暇があったなら、やりたいこと、好きなことが、たくさんたくさん。
たくさんあり過ぎます。
だからいつも何かに追われているような気持ちになるし、人と関係性を築くっていう行為に時間を割けてないなあと思います。
だけど最近どうしようもなく寂しい時もあって、その孤独を埋めるためには、時間やら何かを捧げなくてはいけなくて、それを喜んで捧げることが出来るのか、あまりに長い期間恋愛していなさすぎて、自信がないです。
だから今度もし、ビビビとくるような出会いがあったなら、結構全力でバカになって、捧げられたらいいなって今は思っています。